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Kompleks Graffiti

音楽、イギリス、哲学等について記していきます。

死んで当然は危険な考え〜死刑制度に関する疑問〜

7割超が死刑制度廃止に「反対」というニュースを目にして少し考えたことをまとめます。

headlines.yahoo.co.jp

 死刑に関しては様々な意見があるとは思うのですがFacebookのコメントに「それだけのことをしたのだから死んで当然」といった考えが見られ、個人的にはこのように考える死刑の是非を問わず危険だと感じました。

 その理由としては「それだけのこと」つまり「ある人が死んで当然な理由」はその時々によって様々な方向に行く可能性があり、それによって「死んで当然」な人の範囲も変わってしまうからです。極端な例を挙げますと、ヨーロッパの魔女狩りなんか「魔女だから殺されるべき」という考えのもと行われていたでしょう。実際のところ魔女ではないのにも関わらずです。宗教上や民族の紛争も同じだと思います。何かに属していること、何かを信じていることが「死んで当然な理由」です。また数々の独裁者は自分に反対するというだけで人を殺してきました。

 これらの例は第三者からみれば、そんなことで殺すのはおかしいだろうと思えると思いますが、自分が当事者だったら必ずしもそう思えるでしょうか。事実そう思えていないから殺しているわけです。いつ、どのように、誰に「死んで当然」の基準に変化が訪れるかは誰にもわからず、変わった時には手遅れかもしれません。

 反論として残虐な行為を行った人に対して「死んで当然」と感じることは世界の共通の感情であり、この基準だけは揺るぎないと考える人もいるかもしれません。この基準も歪んでしまうことが多々あるでしょう。上記の例の当事者達は自分たちが行なっていることが残虐だと考えているとは思えません。思っていたとしたら「死んで当然」という考えはむしろ残虐であるはずの自分達に向けられていたはずです。

 残虐な行為をした人間を殺すのは残虐な行為ではないという人もいるかもしれませんが、これこそ危険で残虐性というものが相対的になり、残虐が様々な形で正当化されてしまう危険性を孕んでいます。

 死んで当然と感じてしまうことを止めることは難しいですがそのことを何かをする理由に用いたりするのは危険だと思います。これからどのように世界情勢が動いていくか分かりませんが、誰々は死んで当然だと平気で思ってしまう人が集まってしまうと、集団で盲目的に人を殺してしまうこともありえるのではないかと思います。

 いまいちまとめきれていませんが今後このようなトピックを深めていければと思います。