Kompleks Graffiti

音楽、イギリス、哲学等について記していきます。

自分を基準にしないということ

 私は仕事などにおいて他人を評価する時に自分をその判断基準にしてはいけないと考えている。理由は他の人が自分とは異なる人間であることを無視していること、そして自分が正しいという思い込みで人を判断していることだ。

 

 自分は耐えたなどと言いパワハラのようなことをするような人間は、あくまで「自分」が耐えられる人だったということを理解していない。人それぞれ耐えられるものと耐えられないものがあるのだから、自分の出来たことを強いることは間違いである。

 

 厄介なのは客観的な判断をしているようで主観に陥っているときだ。これは「普通〜する」や「〜が常識」などあたかもある評価基準が社会に存在しているかのような話ぶりをしているときに顕著である。「常識、普通=正しい」という考えに囚われて自分自信で考えることをしないと、「常識」を押し付ける人間になってしまう。そして異なる普通の考え、常識を持つ人々が主張しあえばそれは平行線をたどるのは目に見えている。そもそも自分が普通だと思ったことをなぜ普通だと思ったのかを考えて欲しい。自分の周りはそうだからだろうか。しかし日本の人口の何パーセントの人と触れ合って自分の周りを一般化しようとしているのか。自分が普通だと思うことなどあくまで自分の感覚でしかないことを自覚すべきである。

 

 まず目の前にいる人間に自分の考える普通や常識が通用しない時点で自分を疑い、自分の主張に根拠があったのかを改めて問うべきだ。「私は〜は常識だと考える。なぜなら・・・」と自問すると簡単に答えは出ないはず。その答えが出ないものを他人に押し付けるのは強制であり、ある種の暴力だと思う。

 

 まずは普通や常識という言葉を安易に使うことをやめるべきだと思う。