Kompleks Graffiti

自転車、音楽、イギリス、哲学等について記していきます。

楽しみ方は人それぞれ

 何か物事をするときに誰かと一緒の方が楽しい、1人だと楽しくないと考える人がいる。そして独りで何かをしてきたというと寂しくないのかなどと言ってくる人がいる。独りでも物事を楽しめる人からすると、独りでの楽しみ方は別物である。つまり独り以上の楽しみが誰かと一緒だと確保されるわけではなく、それらはお互いに独立した楽しみであり、量的に優越は付けられないと考える。

 独りの楽しみはとにかく自分に忠実な楽しみ方が出来るという大きなメリットがある。誰かのペースに合わせることなく自分の好きな物を気兼ねなく味わえる楽しみは誰かと一緒では経験できないものだ。美術館などを誰かと一緒に行くと、気を遣ってしまう人は自分の楽しみを疎かにしてしまうことがあるのではないか。私は趣味でサイクリングに行くが独りでも楽しいし、現在のところ誰かと一緒にサイクリングしたいとも思わない。寂しいとも全く思わない。サイクリングがしたいのだから私は独りでもサイクリングがしたいのである。

 しかしながら私は誰かと一緒に楽しむことが嫌いなのではない。例えば人と旅行に行くことが嫌いなのではない。これらは別物なのだ。独りでは味わえないエネルギーの使われ方が誰かと一緒だとなされる。自分独りではやらないようなことができるのも自分の世界を広げてくれるいい機会である。独りの楽しみは基本的に静だが複数での楽しみは動であると考えられる。従ってそれぞれ楽しみの質が根本的に異なるのである。

 独りでの楽しみが理解できない人は独りで楽しめる人と目的意識が異なるかもしれない。行動の目的を旅行の目的が誰かと一緒にどこかに行くことであるのならば、もしもそれが頓挫して独りでの旅行になればそれは楽しくない。なぜなら目的を達成できていないからだ。しかし旅の目的が、例えば清水寺に行くことであれば独りでも達成できるのである。どうしても行きたいという気持ちが強ければ強いほど独りでも達成しようとするだろう。よって独りで楽しい人は独りで目的が達成されているので、それだけで楽しいのだ。

 楽しみの質が違うということを意識すればそこに優劣がないことが分かる。違うものなのだから比較はできない。ギターとドラムがどちらが優れているかなど問題にならないように、独りで楽しむことと、誰かと楽しむことは本来問題にすらならない。

 楽しみなんてものは当人が楽しければなんでも良いのである。そこに他人が文句を言う権利はない。独りでは何も楽しめないのはそれはそれで独りの楽しみという1つの楽しみを失っており、独りでしか何も楽しめないのはそれはそれで誰かと楽しむという1つの楽しみを失っているのだ。どちらもバランス良く楽しむのが一番贅沢なのではないだろうか。