Kompleks Graffiti

自転車、音楽、イギリス、哲学等について記していきます。

映画「新世紀、パリ・オペラ座」の感想

〜覗き見感覚で楽しむオペラ座の裏側〜

f:id:Kompleks:20171210233053j:plain

 渋谷Bunkamuraのル・シネマにて新世紀、パリ・オペラ座を鑑賞してきた。この映画が捉えているのはパリ・オペラ座の舞台裏で、オペラ座であるがゆえにそこで巻き起こる全てのものが「当然」のものとして流れていく日常が描かれている。

 

youtu.be

 

 この映画はオペラ座の舞台裏を覗き見するような感覚で、テロやストライキに対応するStephane Lissner総裁、オーディションで選ばれ成長していくロシア人歌手、「モーゼとアロン」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などに挑む演者、裏方などを写している。ただし写し方は断片的で、それゆえこの映画にはストーリーといったストーリーがない。それはきっとこの映画が誰も主張することのない映画だからだ。この映画では出演者がこちらに語りかけてくることもなく、そしてナレーターが状況を説明してくれることもない。ただオペラ座の日々を写しているだけである。

 ストーリーがないとは言っても、もちろん撮影中に何も巻き起こっていないわけではない。撮影時期にはパリでのテロ(シャルリー・エブド同時多発テロ)が起きているが、この映画ではあくまで多くあるトラブルの中の1つくらいの感覚で捉えられている。この出来事をドラマティックにしようと思えば、いくらでもできると思うが(例えば演者へのインタビューを行う、実際の映像を挟むなど)この映画ではオペラ座総裁の会話から盗み聞きする程度であくまで淡々と写している。

 考えてみれば世界大戦なども乗り越えてここまで存続しているオペラ座にとっては、テロとはいえあくまで数多の困難の一つなのだろう。この映画ではストライキも発生しているがそれもフランスでは日常である。これが意図されているものかはわからないが、この映画のストーリー性の無さはきっと、幾多の困難も乗り越えながらも、現在も存続しており、そしてこれからも存続していかなければならないオペラ座の歴史がなせるものなのだろう。

 ストーリー性と主張のない映画というとマイナスなイメージをもたれるかもしれないがそんなことはなく、主張がないことからこの映画はオペラ座内に序列を与えるような撮り方をしていない。善悪もなく、ただの傍観者として現場をみることができるため、誰かに対してマイナスイメージを持ってしまうことがない。今後も純粋にオペラ座を楽しむことができるような作りになっている。

 そしてこのストーリー性を排除したある意味一歩引いた視点からオペラ座を捉えていることからシュールでコミカルな場面も多くなっている。例えばオペラ「モーゼとアロン」の演出として牛を舞台にあげるのだが、牛の品定めや牛に音楽を聴かせて舞台の耐性をつけさせたりしている。また他にもソーセージの発音(ヴルストwurst)を何回もやり直して、思いっきり感情的に歌い上げているがやはりシュールである。これらのシーンがスパイスとなって飽きることなく映画を鑑賞することができる。

 いかにオペラ座がすごいことをしているか、いかにオペラ座が困難を乗り越えているかをあえて主張することをしなくてもいいのは、この映画のオープニングで総裁が言っていたことを借りれば「当然」のことだからだろう。そんなオペラ座の余裕を感じつつ、オペラ座の裏側を純粋な視点で楽しめる映画である。