Kompleks Graffiti

音楽製作を中心に好きなことを書きます。

作曲日記 緊迫感と白黒の質感

 

youtu.be

 

新曲を作った。今回は緊迫感を一番に演出したかった。イメージとしては、何かに追われている雰囲気で映像的には色は少なくどちらかというと白黒に近いようなざらざらとした音作り。

トリップホップDJ SHADOWのようなクラシックな質感を持った音作りのためにオルガンやブレイクビーツを組み合わせていった。映像的なリアリティを出したいため車のエンジン音で場面を想起できればと考えた。タバコをくわえて、帽子を被り、コートを着込んだノワール曲。

すこし脱線し、DJ SHADOWといえばこの曲。元の曲に色々サンプルを足しているだけだが、そういうファッションセンスというか、既製品の使用センスがDJの価値なのだろう。

www.youtube.com

 

Masstive Attackで好きなのはこの曲。ビデオは完全にキューブリック。血を這うような音作りが好み。

www.youtube.com

 

Cheerio.

繰り返すこと ミニマルな曲作り

音楽の面白いところは繰り返しが許されるということである。もちろんある程度の変化はつけるが、同じフレーズが繰り返されるのはよくあることで、特に昨今のポピュラー音楽はその多くがループで成り立っている。

クラシックなどはどんどん曲調が変化していくものもあるが、個人的には自分が好きなメロディ、リズムをずっと聴いていることが好きだ。スティーブ・ライヒフィリップ・グラスなどが代表的な作曲家であるがミニマルミュージックと呼ばれるものが、そういった単純反復をする音楽である。

www.youtube.com

延々に繰り返されるフレーズは苦痛にもなるが、私はこのミニマルミュージックは曲の変化だけにフォーカスしてはいけないと思う。着目しなければならないのは聴者も変化するということ。最初はうっとりと美しさに身を委ねていても、繰り返し聴いていれば例えばいつまで続くんだと不安になったり、また改めて気分がよくなったり。曲大きく変わらなくても受容する側の変化が結果的に音楽にも変化をもたらす。曲の変化が大きいと、どうしてもフォーカスは曲の展開そのものに向く。繰り返しのなかではむしろ聴く側のフォーカスはだんだんと自分にも向いていく。自分がミニマルミュージックを聴くときは瞑想的になるのはそういうことなのだろうと思う。

音楽には色々な面白さがあるがミニマルミュージックの面白さはこういったメンタルにも通づるところなのだろう。

 

最後に宣伝で申し訳ないが、ミニマルな形式で私が作った曲。もし興味を持ったら聴いていただきたい。

 

youtu.be

 

ではまた次回。Cheerio.

【作曲】私の劇伴作品の紹介

音楽担当として参加している劇団のギロチンメソッド では 、ウィークリーアートワークと称して、自粛期間に少しでも面白いものを提供しようと毎週作品を公開している。

 

今回は自分の曲を公開。もとは昨年12月の公演「善意の後継」の稽古の様子を収めた動画の曲で、改めてアレンジを加えたものを製作した。今回はどんなイメージで作ったかをお伝えしたい。

 

guillotinemethod9.wixsite.com

 

 

www.youtube.com

 

 

映像とイメージ

先に映像があって音を加える作業。まずは映像の雰囲気として浮遊感虚ろな雰囲気。それでも次々変わるスピード感があったので、それに合う曲作りを目指した。

 

構成

出だしは水のような、浮力を感じる音作り。アタック感の少ない、そしてリバーブ(エコー)がかかった音で全体の雰囲気を決めた。そこからは映像に合わせてテンポ良く盛り上げ。動画のテンポはあまり変化がなかったので、音もあまり動かさずに声を足したりするのみ。個人的にはゴスペルの声は緊迫感を出すのに使い勝手がよい。REMIXでは一度そこからイントロに戻して、スネアで盛り上げなおしている。

曲の構成としては単純で、コード進行はずっと一緒で音を足していくミニマリズム的アプローチ。この短さと動画の構成からするとあまり展開がありすぎても、忙しすぎさがまさってしまうので、このくらいのあっさりとした展開で十分だと思う。

 

もし曲作りに興味が湧いたら、是非簡単な1フレーズやコードだけでどんどん音を重ねて楽しんで欲しい。ミニマルなアプロートをとる、このような曲は音の重なりを比較的簡単に楽しめるのでおすすめ。いきなりAメロBメロ〜という展開を考えるよりも楽だ。

 

今回はこの辺でcheerio。

 

 

久々の投稿 演劇やら音楽やら

半年以上も更新しておらず、急に舞い戻ってきた。

 

別に何もしていなかったわけではないのだが、他のことでブログに手が回らない状況だった。

 

ひとつがギロチンメソッド という劇団の公演のための準備。昨年12月末に公演があり、稽古動画や告知動画、公演の入り時間の曲などの作成をした。これについては今後も触れていきたいと思う。

 

もう一つがKILLZOPHES(キロゾフ)という名義での活動で、ラップなどのトラック製作などをしていた。その活動で自分のサイトを作成し、ブログもそのサイトで書いていたのだが、このWIXのサイトがなかなか重かったためブログの更新が滞り気味になっていた。改めてはてなブログをしようと思ったのもWIXのブログの重さからだ。

 

killozophes.wixsite.com

 

 

そして今は上記のギロチンメソッド で週一回、関連するアートワークを公開しており、これに音楽担当として関わっている。フライヤーや動画など色々なものを更新していくので、是非ご覧いただきたい。先週の投稿は下記のもの。

 

 今後も音楽活動をメインに色々と脱線もしながら更新していきたいと思う。

演奏とリスク回避

仕事柄トラブルをいかに回避するかを考えなければならない。「なぜあなたはいつもトラブル処理に追われるのか」という林原昭さんの著書を読んで、自分の生活でどのように未然防止などをしているかを考えてみた。すると今までの自分の音楽活動の中で意外とリスク対策を取っていたのだなと気づいた。そんなことから今回は音楽活動上起こりうるトラブルとその対策をまとめてみる。

 

トラブルその1:ギターの弦が切れる

①:本番前に弦を張り直す。張り直したてだと逆に切れる恐れがあるので、少し弾いてなじませておく。

②:これは自分では出来なかったが、プロにもなれば、バックアップのギターを用意しておきギターテクがすぐに持っていくというのが切れてからの対応としては一番の対策。

 

トラブルその2:サンプルの再生が止まってしまう

バンドをやっていたときは1曲丸々のサンプルを垂れ流していたのだが、PCが止まってしまうと全て終わり。実際一度途中で止まったことがあった。

①:止まっても途中からやり直せるようにしておく。少し専門的だが、サンプルを流すのにMain Stageというソフトを使っており、サンプルの再生位置を何個か設定することができた(早送りとかはできなかった)。なので一度止まっても途中からやり直せるという対策。

②:やろうとして出来なかったのだが、本来取るべき対策はラップトップの性能を上げる。処理速度が早ければそもそも止まらないはず(金が必要...)。

 

トラブルその3:暗譜していたが飛んでしまった!

これを対策するのは難しいが、ど緊張している本番は何が起こるかわからない。個人的にはピアノの発表会はこれとの戦い。

①:普段から途中から弾けるようにしておく。常に部分練習を欠かさずにしておけば、途中から弾くという選択肢がある。

②:暗譜なんてしない。プロになる、コンクールに出るとかではなく、発表会などであれば暗譜せずに楽譜を見る方が間違えない可能性が高い。

 

トラブルその4:譜めくりが出来ない

前項の②暗譜なんてしないから生じる別のリスク。長い曲になると譜めくりが必要になるが、譜めくりがうまくいかず、慌てふためいて間違えるパターン。

①:製本する。楽譜を本のまま使うと、厚みがあってうまくめくれないことが多いので、コピーして画用紙に貼るなどして自主製本する。この際譜めくりをしないような製本にするのも未然防止。

②:譜めくり要員を確保する。誰かにめくってもらえるなら人に任せるのがベスト。しかし人選を間違えると、とんでもないところで譜めくりされてしまうかもしれない。

 

こういったように音楽やアートは金銭的、信用のリスクがかからずにこういったトラブルに直面し、それへの対応を学べるのだなとしみじみと感じる。

芸術の可能性について

全盲でも美術館を楽しめる。「空をゆく巨人」(これは名著!)の著者である川内有緒さんの記事で、とても興味深い内容だった。

美術館で鑑賞をする全盲の白鳥さんを取材した記事。読んでいるうちに色々なことに自分の考えが及んだので、まとめてみた。

www.huffingtonpost.jp

 

 

鑑賞を伝えるという表現

他力の鑑賞は面白い。白鳥さんは誰かにアテンドしてもらわないと鑑賞できない。さらに作品がどう伝わるかはアテンドする人にかかっている。仮に同じ展示を見ても同じ鑑賞にはならないだろう。アテンドする側はこの場合作品を解する表現者といってもいいだろう。作品の一部とも言える。アテンドする側は自分が表現しきれていないものは伝えることができない。そのことを深く自覚することになるのではないか。「何と言えばいいからわからないから現物を見てください」とは言えないのだ。そう考えると物事は必死に伝えなければ伝わらないということがよくわかる。普段のコミュニケーションでも何となく察してほしいということがあるが、アテンドする側は一切それが使えない。アーティストが察してくれと言えないのと同様、アテンドする側も察してくれとは言えないのだから、やはり作品の一部になるということだと思う。

 

音楽でも出来るか?そして表現とは?

自分は音楽を作るので音楽でも同じこと、つまり耳が聴こえない人に音楽を伝えることができるのかを考えたが、これが難しい。例えばダンスミュージックのような力強いビートをどうやって表現しようか。言語的には「軽く殴られるような感じ」とでも言えるだろうか。しかし殴られるのは心地よくないだろうななどと考えてしまう。やはり他の芸術作品同様音楽を説明するのも難しい。曲が生まれたバックグラウンドでもなく、その曲のメッセージでもなく、音楽自体をどうやって説明しようか。この場合、単なる情報ではない、表現が求められるのだろう。実際白鳥さんは解説・ガイド・説明ではなくて、作品の印象・感想・雰囲気を求めるらしい(以下リンク参照)

www.ableart.org

前者はあくまで補足であり、本質ではない。誰もがインターネットで作品にすぐに辿りつける時代にはむしろ解説の方が多くの人には必要とされているのかもしれないが、本当の「鑑賞」という意味では作品の印象・感想・雰囲気を自分で表現できることが大切だろう。この自分で印象・感想・雰囲気を表現することが新たな芸術、コミュニケーションにつながっていくことが期待できるのではないだろうか。印象・感想・雰囲気は言語だけの表現に止める必要はなく、視覚情報を音楽で伝える、聴覚情報を視覚で伝えることも考えられる。

そう考えると音楽を伝えられるかという可能性を考えるよりも、実際に伝える試みを通じて音楽とは何か、表現とはなにかと考えることで新しい表現や新しい交流が生まれることの方が有益だろう。

視点を変えれば可能性は広がる。一つのものが別の形で再び現れる。「できない」ということから広がる可能性というものは意外に大きいのかもしれない。できないから依存する。依存するから可能性が広がる。できないからできるように考える。一見マイナスに見えるものがプラスになり得ることを白鳥さんの鑑賞スタイルは教えてくれる。(本人はマイナスだなんて思っていないとは思うが)

 

今後の鑑賞のありかた

芸術鑑賞は過度に厳かになりがちだが、コミュニケーションを取りながら、例えばもっと食事をするみたいに楽しく鑑賞できれば良さそうだ。やっぱり肉はうまいな〜くらいの感じで、やっぱりキュビズムはいいなとか言うのが楽しいのではないか。何だこれ?変わった味するな…くらいの感覚で現代アートに触れれば良い。ちなみに筆者は友達と酒を飲みながら好きな曲を聴いて、この曲はここが良いんだとか話している時が一番楽しい。美術館でも花見のように綺麗な絵を見ながらワイワイ騒ぐのも良いのでは。

インスタレーションの中心で飯を食う」ということを妄想するとなんとも楽しそうだ。

思えば留学中にイギリスの映画館に行った時に、笑えるシーンでみんな声を出して笑っているのに驚いた。日本だと笑えるシーンでもあまり周りに聴こえないように気を遣うのだろうが、イギリス人は思いっきり笑っていた。

もっと感情を出す、伝えるということをこれからの芸術界は目指していくべきなのかもしれない。

 

まだまだ色々考えていることはあるが、また考えがまとまったら書こうと思う。とても思考を刺激してくれる、素晴らしい記事だった。

準備は怠るなよという教訓

奥多摩まで自転車で行ってきた。

昼頃に出て奥多摩駅付近到着が16時くらい。道中渋滞でなかなか進むことが出来ず時間がかかってしまったが、幸い気温がさほど上がらず快適な旅だった。

奥多摩駅にたどり着いたのは17:00。17:18の電車があるので、いそいでパッキングすれば間に合う。早速自転車をひっくり返し、輪行袋を取り出す。エンド金具をつけようとすると、輪行袋に入っていない。

急いでバイクのバッグなどを探すがない。エンド金具なしで輪行できるのだろうか?調べてみるとエンド金具がないと変速機が壊れるらしい。もしくはずっと担ぎながら電車に揺られるか。さすがにずっと担ぐのは無理だ。仕方がないので日が沈みゆく中、ひとまず青梅の自転車屋に向かうことにした。

下り基調だったのでそこまで苦労することはなく青梅に到着。目的の自転車も青梅街道沿いだったので迷うことなくたどり着けた。さてほしいのはエンド金具単体だが、輪行グッズの棚をみても輪行袋はあれど金具はない。念の為店員に確認したがないとのこと。

仕方が
ない。なぜか駐車場で音楽を流しながらウィリーしている少年たちを尻目に別の自転車屋へ。ホームセンターと一体になっているところなのだが、こちらにもエンド金具はない。しかしここはホームセンター。ここで考えた。自分で作ろう。それなりに形になりそうなものは揃えられた。ただしエンド金具の構造を完全に理解しているわけではないので、勘に頼っていた。

さて駅に向かい、輪行の準備を開始。自作エンド金具をさっそく試すが、案の定、エンド金具の構造を理解していなかったので、グラグラと揺れてしまう。これでもいけるかなと思ったがさらに忘れ物に気がつく。輪行の時に担ぐための紐がない。

ということで自走での帰宅を決めた。35kmほどの旅路。夜道はできれば走りたくなかったが仕方がない。

自走で帰るために家系ラーメンで補給。本当は油ものはダメなのだろうが空腹すぎて、食べたいものを食べたい欲求を抑えられない。実際食べると、まったくこってりさを感じることがなくあっという間に完食。

帰路は交通量がすくないことと、下り基調であることに加え、追い風が吹いていたので、体力的にはきつかったが、気持ちよくライドをすることができた。

 

久々にひやひやしたと同時にワクワクした。中秋の名月を眺めながらのサイクリングはなかなか美しいものだった。それは思わぬ収穫でもあった。そして自分は子供の頃からやっていることが変わらないことにも気がついた。音楽をして、自転車に乗っているのは子供の頃から何も変わっていない。結局こうして生きていくのだな。

 

準備は抜かりなく。しかし準備がいいかげんで失敗するのもたまには面白い。

 

f:id:Kompleks:20190915100229j:plain

奥多摩湖